訃報・俳優『山田 辰夫』53歳(2009年7月29日 (水)の記事です)
俳優の『山田 辰夫(やまだ・たつお)』が53歳という若さで亡くなった。
30年ほど前、名倉ジャズダンスの友人達が所属していた、劇団『GAYA(ガヤ)』の創立メンバーで、その芝居を見に行ったのが、初めての出会いであった。とにかく、すごい役者だった。
(名倉ジャズダンススタジオの仲間たち)
(中央で歌っているのが「じろりん」名倉ジャズのステージ)
『GAYA(ガヤ)』の芝居は、当時話題になっていた『佐藤B作さん』の『東京ボードビルショー』よりも斬新で面白いと思った。
『GAYA(ガヤ)』の連中も『じろりん』の芝居を見に来てくれて、よい意味でお互い火花を散らした。
劇団Mr.GoodMan(井之上君はこの芝居が初舞台でした)
(真ん中の「じろりん」の横に井之上君)
『井之上隆志』君に、「これからは、こんな芝居を勉強しないと駄目だよ!」と言って、『GAYA(ガヤ)』の芝居を見に連れて行った。その後、『じろりん』は姫路に帰り、『井之上隆志』君は『GAYA(ガヤ)』に入って、芝居を磨いた。
その直前『山田 辰夫』は、80年公開の『狂い咲きサンダーロード』に主演し、映画デビューをした。(近年では、脇役として活躍し、映画『植村直己物語』『ホワイトアウト』『おくりびと』、ドラマ『あぶない刑事』『必殺仕事人2009』などに出演している。)
(井之上君は、こんな凄い役者と同じ舞台に立って鍛えられたのだろう)
向こうは何とも思っていなかっただろうが、『じろりん』にとっては、生意気にもライバルであり、憧れであった。芸能界を引いて、姫路に帰って来てからも、いつも気になる存在であった。『じろりん』が70歳でデビュー(70歳での再デビューを夢を見ている)した時には、何時か何処かで対談をしたいと勝手に思っていたのに、非常に残念な気持ちで一杯である。
フォークシンガーの『長渕剛』がスポーツ紙に散文を寄せていた。
ダチ山田辰夫へおくる 長渕剛
辰ちゃん
そりゃないよ。
なんで?
なんで言ってくれなかったんだ!
あれだけ
またいっしょに
映画やろう!ドラマやろうって
約束したじゃねえか! 鋭利な刃物を忍ばせ、
機関銃の言葉を放射し、
俺に、
そして
日本映画界に
強烈な個をたたきつけてきやがる
凄え俳優だった。
日本映画界からまた本物が消えた。
怒りと悲しみがこみあげて来る。
これだけ役者という職業を命かけて愛した男を俺は他に見た事がない。
たまらなく俺は辰が好きだった。
大っ嫌いな卑怯者がその昔、いて、
俺を守ろうと、
からだごと、そいつに突進して、
血まみれになったほど、
奴の魂は、限りなく優しかった。
男気に満ちあふれ、
笑顔がいつも、悲しく…、かわいかった。
酒をくみかわし、
いつも映画の話をした。
「ねえ! 剛、やんないの? ねえ、やんねえの映画?」
「…うーん」
「やろうよ! 俺あんたとしばいすんの大好きなんだよ。ねえ、やろうぜ」
いつも飲むと俺にからんできやがった。
もっと、俺、死ぬ気で原案を考え、
いっしょにやればよかった。
よれた皮ジャンひっかけてひょっこり俺ん家に辰はやってくる。
「よ!酒飲みに来たよ」って。
けど、
辰、お前、今回ばかりは何も俺に言わなかったな!
悔しいな、辰!
なぜだ?
あの時、俺たちは体制にまかれず、
いい本物のしばいを作ろうと
戦ったじゃないか。
また、俺
ひとりぼっちかよ。辰ちゃんよ!!
『山田辰夫』
生涯不良・生涯青春を貫いた本物のアウトローだった。
信じたくない。
あの時、約束したよな!
「今度、また映画やる時はな、辰!!
お前は狂気の役だぜ!」辰はニッコリ笑って
「うん…俺、好き。そういうの…好き。あんたとならやれる」
信じたくない。
辰が死んだ!?
ふざけんな!!
なぜ俺から大切なものを神様の野郎はうばって行くんだ!?
悲しくて悲しくて…しかも、
辰のような男がいなきゃつまんねえ。
けど…想像以上に悲しい。
絶望以上に悲しい。なぜなら、二度とおまえと逢えないからだ。
辰!天国へ行けよ!
俺もそのうち行くからよ。
だけど、ニコッといつものように笑って、
お前、すぐ、手まねきすんじゃねえぞ。
愛うしい山田辰夫様。
いや、
辰ちゃん。しっかり眠ってな。
合掌。今までありがとう。お前に逢えてしあわせだった。(原文のまま)
(2009年7月26日の出来事です)