昭和47年、上京して就職したのが日比谷にある日生劇場の大道具(俳優座美術部)でした。毎日一流の舞台に接してはいるのですが、大工の親方に弟子入りしたようで関東弁でまくし立てられ怒られてばかりです。ミーハーなじろりんは劇場よりテレビ局の大道具の方が華やかで楽しそうに見えていました。
上京して半年後、夜間の日本テレビ総合タレント学院に申し込みをしました。劇場の公演は夕方からが多いので、昼の仕事を探していると、大道具の親方がテレビ朝日の大道具を紹介して下さいました。テレビ朝日へ行ってからは毎日、リアルタイムに話題の有名人に出会えるので楽しくて仕方ありませんでした。
ドラマ『だいこんの花』やクイズ『タイムショック』『ベスト30歌謡曲』『徹子の部屋』『モーニングショー』『アフタヌーンショー』などのセットを仕込んでいました。
牧伸二さんは昭和38年から15年間、『大正テレビ寄席』(提供・大正製薬)という番組の司会をされていました。渋谷駅前の東急文化会館での公開録画で、テレビ朝日から大道具を運んでセッティングしたことが何度かありました。関東ではとても人気がある番組で、東西を問わず、まだ売れていないけど面白い芸人が毎回出演していましたので、時間の許す限りリハーサルから見学していました。
ドリフターズもコミックバンドとして、そしてコントグループとしての地位を築いたのがこの番組だったそうです。
印象に残っているのが、『大木こだま・ひかり』という勢いのある関西の若手漫才師でした。その後、大木ひかりが不祥事を起こして解散しましたが、相方を変え『大木こだま・ひびき』として現在活躍中です。
『演歌チャンチャカチャン』というコミックソングがありますが、初めて聴いたのもこのリハーサルでした。平野雅昭さんという方が歌っておられました。この数年後にレコーディングされ大ヒットしたのです。
牧伸二さんが最後の日に出演される予定だった『東洋館』(元・フランス座)の下にある『浅草演芸ホール』にはじろりんも出演した事があり、テレビニュースでその界隈が映るたびに懐かしく思い出されるのです。『牧伸二』さんとは共演したことはないと思っていたのですが、昔のアルバムを整理していると、何かのテレビ番組でご一緒したのかサインが出てきました。(何の番組か覚えていません。)
78歳で逝かれた『牧伸二』さんにとって人生って一体何だったのでしょうか。一世を風靡し頂点を極められた芸人であっても悩みがあったのでしょうか。70歳デビューを目指すじろりんにとって、とても考えさせられる出来事でした。