(じろりんは「ジローとケンジ」というコントコンビだった頃もある)
コント55号のなんでそうなるの?の巻
昭和48年9月、日本テレビ総合タレント学院を終了した「じろりん」は浅草松竹演芸場で芝居をする事になった。
(日本テレビ総合タレント学院卒業公演・有楽町よみうりホールにて)
(浅草松竹演芸場)
劇団の名前は「くるま座」。当時、人気のあった「デン助劇団」が解散して、その後に出来たホヤホヤの若い劇団でした。
(デン助を演じておられた大宮敏充さん)
一日・二回公演の出演料は三百円だったのですが、今思えば二十歳そこそこでギャラを貰いながら芝居が出来るとは恵まれていたのかも知れません。そんなある日、演芸場の舞台で「コント55号のなんでそうなるの?」のテレビ収録があると言うので半日だけ公演して楽屋を譲りました。
楽屋を出るときトイレで用を足していると欽ちゃんが入って来て並んでオシッコをしました。昭和19年に建った演芸場の汚いトイレは仕切りも便器もなく、隣に欽ちゃんが居るので、ちょっとビビって止まりそうになりました。
一旦、劇場を出て一般の人に混ざって改めて並んで入場しました。程なくして劇団は解散したのですが、その後も元・劇団員の栗原ケンジ君とコントのコンビを組んでいましたので、相変わらず収録の度に並んで入っていました。
(相方のケンちゃんと・・・)
(なんでそうなるの?コントの合間にストリップショーがありました)
(一冊だけ残っていた台本と入場整理券)
(吉田茂さんは今も現役の音効さんです。お馴染み「パンパカパカパカ・パッパー・・」で有名な笑点のオープニングテーマをタイミングよく鳴らしておられます。)
(日本テレビの番組で地方へ公開録画に行った時。
ヒゲのサングラスが吉田さん・白のスーツがじろりん)
その時貰った台本を宝のように持っていたいたのですが、思うところがあり心機一転の思いで昭和50年4月に修養科に入ったおり、稽古場として借りていた東大教会のある先生に預けていたのですが、東京へ戻ると預けていた台本は、いつの間にか、どこかへ行って無くなってしまっていたのでした。今持っていればお宝で価値が出たかも知れません。
東京から持って帰ってきたダンボール箱の中に、くるま座の台本と「コント55号のなんでそうなるの?」の台本が一部だけが残っていました。
(劇団くるま座の台本)