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Channel: 『姫路のじろりん』のブログ
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訃報・演出家 浅利慶太氏

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 7月13日、劇団四季の創設者で演出家の浅利慶太さんが亡くなられた。
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 じろりんが初めて見た浅利慶太さん演出の作品は、昭和47年に上京して日生劇場の大道具をしていた頃、劇団四季のニッセイ名作劇場 「どうぶつ会議」という小学生無料招待のミュージカルでした。このミュージカルの印象は鮮明で、テーマ曲は今でも覚えています。確か立原啓介さんも出演されていたと記憶しています。
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 その年、越路吹雪さん主演で四季の創立メンバーが出演されていた「アプローズ」というミュージカルの裏方を手伝わせて頂きました。
 このブロードウェイミュージカルの成功が今の劇団四季の基礎となったようです。
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(劇団四季「アプローズ」写真撮り指示を出す浅利慶太さん(左)。前列左から江崎英子さん、雪村いづみさん、越路吹雪さん、木の実ナナさん。後列左2人目から、池田鴻さん、飯野おさみさん、一人おいて日下武史さん=1975年5月10日、東京・有楽町の日生劇場)


 当時、西村晃さんの付き人をされていた市村正親さんや鹿賀丈史さんは、その後入団されています。
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 後に、じろりんも一般公募の「コーラスライン」というミュージカルのオーデションを受けましたが、残念ながら不合格でした。元アイドルの荒川務さんも受けておられ、今では劇団四季の大ベテランになっておられます。
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 それまでの日本の商業演劇は人気タレントを配役して興行収入が成り立っており、大多数の俳優は実力があっても生活が成り立たず生活を支えるためにアルバイトを優先していました。
 その現実を憂慮した浅利慶太氏は、安定した集客力をもつ高水準の芝居を上演することで、公演だけで運営が成り立ち、劇団員も生活できる経営を志向するようになったのです。その後、幾多の紆余曲折がありましたが、劇団四季では「俳優が舞台だけで食べていける」という理念のもと、独自の経営システムを確立して演劇をビジネスとして成立させたのです。浅利慶太氏は日本の演劇界に革命をもたらした人物でした。
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