追悼・内田洋さんの巻
東京から帰って来た頃、内田家からヤマハの50CCバイク「チャッピー」を貰い、用事で走り回っていた頃、内田さんが個人経営されていた、ゴルフヘッドを磨く工場へ立ち寄ると、必ず仕事の手を止めコーヒーを入れて下さいました。また、それが昼頃に重なると近くの喫茶店へ連れて行って下さりランチをご馳走になることも度々でした。
40回を数える「城陽公民館・じろりんフォークライブ」も内田さんの館長時代から始まり現在も続いています。その活動が他の公民館や、学校へと伝わり姫路市内はもとより、今では兵庫県内の各施設から声が掛かるようになったのです。
姉の主人・内田洋さんが年末の12月29日にお出直しになられました。生前大変お世話になったことを思い出します。
何か困ったことがあると、必ず話を聞いて下さり助けて貰いました。以前の姫明分教会の建物の壁にあった大きな看板の文字も内田さんが書いて下さった物でした。
(1982年12月)
現在の教会の建築の際には、断熱材の工事や三階のタイルカーペットも全て張って下さいました。
城陽公民館の館長時代にはサスケのワンコインライブの企画に全面的に協力して貰い、神戸新聞・毎日新聞にも取り上げられました。
(神戸新聞の記事・2009年5月24日)
(毎日新聞の記事・2009年5月25日)
(読売ファミリーニュースの記事)
しかし、他の公民館から有料公演は規則違反だとクレームが入り、始末書を取られる事態になりましたが、意に介しておられませんでしたので、一安心した次第です。
(新型インフルエンザが大流行していたので、お客さん全員マスク姿です)
感謝しても感謝しきれないくらいお世話になりました。