伝説の双子フォークデユオ『サスケ』の弟・タカさんが亡くなられました。
サスケの兄・カツさんが書いたブログの記事です。
『7月24日午前4時50分。肺がんで、タカちゃんは空に召されていきました。
励ましてくださった皆さん、本当にありがとうございました。・・・・
励ましてくださった皆さん、本当にありがとうございました。・・・・
「思い残す事なんてないよ、結構ハッピーな人生だったよ」とずっと言ってました。』
『28日のお通夜には全国から友人達が参列してくださり、タカとの別れを惜しんでいただきました。(岩手県陸前高田市の復興ソング)「生きてりゃいいこときっとある~高田の一本松~」のタカの声が流れた後に戸羽太・陸前高田市長。神野美伽さんを伴っての詩の師匠・荒木とよひさ先生の弔辞。そしてフォークソングのダブル師匠・なぎら健壱、三上寛さんのたかへの別れの言葉。タカ、思いがかなったね。四列に並んだお焼香の絶えない列、タカとの思い出を噛み締めながらも、皆さんカツにも目でお話してくれました。』
約300人程の人が参列されたようです。中でも「荒木とよひさ」先生はテレサテンの一連のヒット曲の作詞や「四季の歌」の作詞・作曲で有名です。荒木先生は元々「伝書鳩」というフォークグループの一員でサスケとは古い古いお付き合いなのです。
お別れの言葉を述べられたフォーク仲間の「なぎら健壱」さん、「三上寛」さんといえば、フォークの原点です。本来なら、すでに亡くなられた「高田渡」さんも来られたかも知れません。フォークソング初期のそうそうたるメンバーです。
<売れっ子で多忙な荒木先生にとってのサスケとの時間は楽しかったようです。音楽に関しても「世に出て行く作品とは別にサスケの作る歌にいつも刺激され、勉強になる」とおっしゃっていました。「なぎら健壱」さん・「悲惨な戦い」「一本でもニンジン」。「三上寛」さん・「夢は夜ひらく」。「高田渡」さん・「自衛隊に入ろう」等が有名。>(作曲家・太田勝一郎さんのブログを一部参照)
タカさんが出直された今、サスケが歩んできた足跡の偉大さをあらためて感じています。
カツさんから、24日に訃報の一報を受けていましたが、どうしても都合が付かず出席出来なかった事が残念でたまりません。後日、お別れの会が開かれるそうですので、是非、その時は出席したいと思っています。
最後のレコーディング