宇恵義昭先生を偲ぶ
じろりんが1980年から20年間、構成・演出・主演をつとめた、「こどもおぢがばえり」バラエティショーの行事責任者で、奈良教区少年会の団長であった宇恵義昭先生が、6月23日にお出直しになりました。享年81歳でした。
高校2年生の時、天理で開催された「演出・スタッフ講習会」を受講した時の講師で、話を聴いたのが初めての出会いでした。
その10年後(1980年)に、バラエティ出演のオファーを頂きました。その責任者が宇恵先生だったのです。
その時は、まだ東京で修行中の身でした。プロの舞台で求められるのは、全体のいち歯車としてだけの芝居で、勝手な事は許されません。その点、バラエティは全て自分のやりたいように、何から何まで作り上げる事が出来るのです。よくぞ、こんな未熟な28歳の若者に、舞台を全て任せて下さったものだと、つくづく驚くと同時に懐の大きさを感じずにはいられません。
先生は、何事も演出が大事だとよく言っておられました。人を紹介するときは、悪い所を先に言いなさい。例えば「この人は酒呑みでね。でも働き者なんですよ。」と言えば良い印象が残りますが、「この人は働き者なんです。でも酒呑みでね。」と順番を変えるだけで悪い印象になってしまうと教えて下さいました。
先生が若い頃、何も知らない人々に例えを用いて分かりやすく教えを説いた、天理教教祖のことを「最高の演出家だった。」と本部の偉い先生に言ったら「教祖が演出家とは何事か!」と凄い剣幕で怒られたと述懐されておりました。
また、マジックが趣味で、よく見せて貰いました。手の中のタバコが、見事に消えたと思ったら、暫くしてからズボンのポケットから煙が出て来て大慌てということもあったりしました。とにかく楽しいことが大好きな先生でした。
26日の「みたまうつし」は、多くの参列者で、教会の食堂でモニターを観ながらの参列でした。
家族の方と、挨拶も出来ない状況で、玉串奉献をして外へ出たら、まだ多くの人が玉串奉献を待っておられました。流れ解散でしたので帰るしたくをしていると、「ジローさん!」と声を掛けられました。吉本のモノマネ芸人「めぐまりこ」さんでした。テント席に目をやると、Mr.マリックさんとライバルだった事で有名になったジョニー広瀬さんが座っておられました。ず~っと前から、もう一度会いたいと思っていましたので、嬉しくて駆け寄ってハグをしました。そこにはマジックの坂本ファミリーの皆さんもおられ、本当に懐かしい方々と再会出来た事は先生の計らいだったのかも知れません。
(左より、てっちゃん・めぐまりこ・じろりん・ジョニー広瀬・坂本ファミリーママ・こてっちゃん)