「三左衛門堀・川まつり」アラカルト。
ビートたけしさんは『フランス座』で修行中
(浅草六区の賑わっていた頃の写真)
劇団『くるま座』の座長は『橋敬』という人で、座員には『アングラ演劇』出身の人が多く、『日本テレビタレント学院』からは、『じろりん』と『ケンちゃん』(栗原謙次君)が参加しました。時事ネタやブラックユーモアの不思議な芝居をしていました。
その頃、よく演芸で出演されていた(漫談の)『早野凡平』さん、『泉ピン子』さん(漫才の)『桂子・好江』師匠、『星セント・ルイス』さんは若手で売り出し中でした。
『ツービート』の『ビートたけし』さんは、まだストリップ劇場の『フランス座』で下積みをしておりました。今では映画の『黒澤明』監督と並ぶ程の巨匠になっておられるので驚きです。
年末のある日、少ないお客さんが一人帰り、又一人帰り、とうとう一人になってしまい、最後のお客さんは帰るに帰れず、我々劇団員とお客さんの我慢くらべのような芝居になってしまった事があります。
又、ある時は夢中で芝居をやっていると、客席のドアが開いて「あんた達、まだやるの?」と声が客席の後ろから聞こえました。誰かと思ったら、掃除のオバサンでした。そして、よく見ると客席には一人のお客さんも居られませんでした。
一日二回公演をして、ギャラが三百円(座長は五百円)で、生計は牛乳配達で立てていました。当然、将来の保証は何も無く、未来のスターを夢に、それだけを頼りに無我夢中で一日一日を送っていました。
井之上隆志君・お別れの会の巻
「A列車で行こう」をUP
サスケの「小田急線」をUP
大垣カツ(兄)&大垣タカ(弟)のデュオ
…双児(カツとタカ)の兄弟
愛媛県西宇和郡三崎町(現在は伊方町)松出身
1954年11月27日生まれ
中学一年まで愛媛県三崎町(現在伊方町)で育ち中学二年から高三まで山口県下関ですごす。
高校時代中津川フォークジャンボリーを見に行きフォークシンガーになる事を決意。
ヤマハライトミュージックコンテスト下関大会で飛び入り優勝。
18才で上京、森田公一とトップギャランの事務所にはいる。
24才でハイファイセット、さだまさしクラフト、田山雅充所属の事務所に入る。
キャニオンレコードよりサスケローリングバンドとしてLP「二人三脚」シングル「小さな幸せ」でデピュー
20代前半はガソリンアレイ、後半はぐわらん堂にて唄を歌い
その後桑田佳祐氏の父親の事務所(ハラ坊店長のオレンジ音屋)でライブ、そしてカラオケの司会をする。
30代より東京に戻りバンド活動、サスケ〆ムーンライト、サスケザウルスとして曼陀羅2を拠点とする。
30代後半からはアコースティックスタイルに戻る。
アー、今だ夢の中。
現在も子供から大人まで親しみやすいそのキャラクターと、暖かさをアコースティックサウンドに乗せ全国でLIVE活動を行っている。
なお故郷愛媛の松山、三瓶、保内町、三崎の歌なども歌っている。
RIRIの[大阪湾]作曲したことをきっかけに作家活動も並行している。
2009年1月 アリコジャパンのCMに出演。
「三崎の秋(くすのきの下で)」をUP
「おばあちゃんのラブストーリー」UP
サスケの「カレーライスの日」UP
じろりんフォークライブ
ディサービス「愛あるふれあいの家」ライブ
24年前・小池百合子さんに会った
飾磨公民館・教養講座ライブ
~人権を謳う ギター弾き語りライブ~
じろりんコンサート
と題して歌って来ました。
① センチメンタル・カーニバル
② ふたり酒
③ 天城越え
④ 愛燦燦
⑤ 悲しい酒
⑥ 東京
⑦ ファイト
⑧ 上を向いて歩こう
⑨ 関白失脚
⑩ ふるさと
⑪ 生きてりゃいいこときっとある~高田の一本松~
⑫ 生きてりゃいいさ
⑬ 吾亦紅
⑭ 暖かい風
思いがけずアンコールで・・・
⑮ 河内のオッサンの唄
以上15曲でした。
宇恵義昭先生を偲ぶ
赤穂・土曜夜店ライブ
(順不同)
ff(フォルティシモ)
センチメンタル・カーニバル...
少年時代
天城越え
恋のバカンス
愛燦燦
東京
あの素晴らしい愛をもう一度
関白失脚
ふられ気分でロックンロール
以上10曲でした・・・。
中島みゆき「この空を飛べたら」をUP
歌:姫路のじろりん
「この空を飛べたら」作詩・作曲:中島みゆき
空を飛ぼうなんて 悲しい話を
いつまで考えているのさ
あの人が突然 戻ったらなんて
いつまで考えているのさ
暗い土の上に 叩きつけられても
こりもせずに空を見ている
凍るような声で 別れを言われても
こりもせずに信じてる 信じてる
ああ人は昔々鳥だったのかもしれないね
こんなにもこんなにも空が恋しい
飛べる筈のない空 みんなわかっていて
今日も走ってゆく 走ってく
戻る筈のない人 私わかっていて
今日も待っている 待っている
この空を飛べたら冷たいあの人も
やさしくなるような気がして
この空を飛べたら消えた何もかもが
帰ってくるようで 走るよ
ああ 人は 昔々 鳥だったのかもしれないね
こんなにも こんなにも 空が恋しい
ディサービス「愛あるふれあいの家」ライブ
タカさんを偲ぶ会&ライブ
この暑さと時間がお昼ということもあって人が集まるのか心配でしたがいつのまにか座れないお客さんも多く満員御礼となりました。
お店は夜にまた別のライブがあるために終了後はいつもの如く、二次会・三次会と流れて行きました。
結局僕も三次会まで付き合い(四次会があったようです)家に帰りました。
三次会まで出ても家に着いたのは10時ですから残った人は五次会もおそらくあったでしょうね。
なんとサックスの武市昌久さんがいらっしゃいました。
武市さんは僕の師匠宮川泰先生の歴代のお弟子さんなのです。
狭い世界でサスケさんを介して出会うことができました。
大先輩の作曲家・サックスプレーヤーです。