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Channel: 『姫路のじろりん』のブログ
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追悼・井之上隆志君

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追悼・井之上隆志君
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  2017年3月4日、俳優・井之上隆志が56歳で亡くなった。
彼は19歳でこの世界へ入ってきた。じろりんは27歳だった。たった1年間ばかりの付き合いだった。
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「渡る世間は鬼ばかり」「ドクターⅩ」「相棒」「天才刑事・野呂盆六」「ゲゲゲの女房」等、数多く出演し、「藤山直美」「高畑淳子」「中村勘三郎」「春風亭昇太」「佐藤B作」「木村拓哉」等、多くの方々と共演している。
 
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 彼が言っていた。「僕らの仕事は、就職と失業の繰り返しなんです。」出演が決まった時点で就職し、芝居が終わったら失業するという意味である。
走り続けた37年間の間には、じろりんよりも濃い付き合いの人があっただろうと想像はつくが、果たしてそうだったのだろうか?
ドラマや舞台という職場で出会う人たちの中に、自分の生き様や本音を語り合える人が、どれくらいいたのだろう?業界で、そこそこの地位を築き一目置かれる立場に立っていたので、返ってしんどいこともあったのかな。
37年前、金がなくて、仕事がなくて、毎日必死で生きて、夢を語り合った、じろりんとの1年間が、何物にも代えがたい濃い時間だったのかな。
じろりんが東京を引き上げた頃、彼から来た数通の手紙を最近発見した。
最後の方に必ず切ない一文があった。
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・・・「ジローさんの顔を見たい。」・・・
・・・「先日、ジローさんの住んでいたアパートの前をバイクで通りました。
なんかスゴイ、オトメチックで自分でも言いにくいんだけど
ジローさん居ないんですヨネ。―――。」・・・
・・・「ジローさんが東京に居たら 俺 絶対に泊まりに行くと思う
2、3日分の着換え持って。」 ・・・
 あれから20年以上過ぎてから再会したが、二人の環境は様変わりし、取り戻せない大きなブランクがあった。その後、サスケのタカさんの見舞いに行った東京での夜。東京ボードビルショー・姫路公演後の我が家での夜。朝まで呑んで語り合った。その大きなブランクを一気に埋める程の濃い時間を二度も過ごせた。それがせめての慰めだ。
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井之上隆志君からの手紙その4

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井之上隆志君からの手紙その4
 
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前略、   MR GOOD MAN辞めました。箕さんの店でバイト
してたけど 何だかんだ ありまして店もつぶれて・・・・。
自分なりに考えた末 GOOD  MANを辞めてみました。
これからどうしよう。
ジローさんみたいに付き合いも広くないし、人脈も無いので
フリーで仕事する訳にはいきません、勿論、相当の実力も無いし。
 
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多分、また どっかの劇団には入って活動するでしょうけど。
昨日、東京ヴォードヴィルショーの公演見て来ました。
ヴォードヴィルショーに研究生として入団する気でしたが昨日の
公演見て辞めました。  違うんですヨ 自分のやりたい物と。
221日に劇団GAYAのオーデションがあるそうです。
後学の為に一応 受けて見ようと考えています。
今、スゴク 新鮮な気分です。新しい行動を起こそうと
してる時っつのは 気分イイですね。
8m/mの学生映画の話もあったんですが、今いち考えています。
 
『ジローさんは東京 出て来て10年間 自分の力で
自分の行動をつくり、その行動で人脈もつくり、やって来たのに。』
↑(この部分、他の行とあまり深いつながりはありません。
思いつくまま書いたので・・・多分この後に「あ~~俺はダメだ」・・・みたいな
文章がつづくハズだったんだろうと思います)
 
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俺の事に親身になって 話し相手になって
くれる数少ない人の中でジローさんは最も大きい その中の一人です。
ジローさんと話したい。別に内容の無い話でも話しているうちに
何か出て来るのに。
 GOOD MANでは自分が ぶつかって行ける先輩に今不足しています。
   もっと色んな人間の中でもまれて行きたいのです。
GAYAに、入っちまおうか・・・とも考えましたが。
 
   いろんな芝居を見てじっくり考えて見ようと思います。
まだまだ 若い、21才だ。
アトムさんと連絡とりたいのですが アドレス帳を無くして
連絡がとれません、TEL教えて下さい。
 
ジローさんは どこの劇団入っても同じだヨ 後でGOOD  MANが良かった
って思う時が来るって言いましたが  異う様な気がします。
何が異うか良く判りませんが、異う自分が見つけられるかも
知れないし。  (私は言ったことを覚えていませんが。)
 
ジローさんから もらったストーブが今年 活躍しています。
まだまだ寒さは続きそうですね、 風邪ひかん様に。して下さい。
        返事下さい 待ってます
 
         1982・212   井之上隆志
 
PS   俺が有名になった時の為  手紙は大事に保存しといて下さい。
 
     これは あの井之上隆志がくれた手紙だぞおって・・・。
     その時の為に芸名はつけません。
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愛あるふれあいの家ライブ

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本日、近所にあるディサービス「愛あるふれあいの家」で歌って来ました。
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泣いて笑って一緒に歌いました。
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今日は女子会でモテモテでしたよ~!
今日の歌で~す!
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① 銀座カンカン娘
② 夢が見たけりゃ
③ 川の流れのように
④ 愛燦燦
⑤ みだれ髪
⑥ 麦畑
⑦ 関白失脚
⑧ 見上げてごらん夜の星を
⑨ 上を向いて歩こう
⑩ ふるさと
⑪ 七つの子
⑫ 赤い靴
⑬ 夕焼け小焼け
⑭ 野に咲く花のように
⑮ 四季の歌
⑯ 新妻に捧げる歌
⑰ 籠の鳥
⑱ トイレの神様
⑲ 青春の城下町・白鷺城に見守られ
⑳ 星影のワルツ
 
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以上、20曲でした・・・。
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最もチケットが取りにくい劇団「カクスコ」

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井之上隆志君が、所属していた「劇団カクスコ」は、最もチケットが取りにくい劇団と言われていた。

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「劇団GAYA」所属メンバーにより、劇団GAYA解散後の1987年に結成され、1998年に第33回紀伊國屋演劇賞を受賞し、2002120日をもって解散した。


残念ながら、私はもう東京を離れていたので「劇団カクスコ」の存在も井之上君の活躍もリアルタイムでは知らない。


 


20年後、私の留守中に電話があった。「東京でジローさんに大変お世話になった井之上です。今日、明日と姫路で演劇の公演がありますので、是非見に来て欲しいのですが・・・」とのこと。

かくて、2004年の春、井之上君と奇跡の再会をした。井之上君43歳、じろりん50歳だった。


東京時代、私の後をいつも金魚のフンみたいに付いて来て、あちこちいつも連れまわしていた井之上君だ。



それは、加藤健一事務所の『すべて世は事も無し』という芝居だった。客席は超満員で、彼は女優の『山口果林』さんと夫婦役でインテリの老人役を好演していた。


 


終わってから「ジローさん、ドキドキしながら観てたでしょう。」と彼が言う。芝居を始めた頃しか知らない私は確かにドキドキしながら観ていたが、素晴らしい好演に驚くと共に涙が出た。


 


昨夜、YouTube初めて「カクスコ」の芝居を観た。さわりだけ観ようと思っていたが、余りにも面白すぎて、「空き室あり」という芝居の0~11まで、観てしまった。


 


「空き室あり」カクスコ



再会した時、今ではど素人の私に「ジローさん、また一緒にやりましょうよ。」としつこく言うので、不思議に思っていた。
こんな芝居をもう一度、やりたかったのだなと、今日やっと分かった気がした。


シンフォニア・勝手にライブ

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26日昼頃、天理駅前の「シンフォニア」で「勝手にライブ」を決行しました。
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気楽に言いたい事を喋りながら、歌いたい曲を歌ってきました。何を唄ったのか思い出しながら綴ってみます。

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君へ遺す(のこす)五つの言葉
ここは親里
君に捧げるほろ苦いブルース...

心がカゼをひいた夜
あの娘のいない街・東京
学生街の喫茶店

命の別名
ヘッドライト・テールライト
北の旅人
天城越え
Nobody Is Right
愛燦燦
ダンシング・オールナイト
吾亦紅

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こんな感じでした。

じろりんフォークライブ㏌城陽公民館 Vol.34

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「じろりんフォークライブ」
 
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ゲストも多彩で、めっちゃ盛り上がりました。
 
前回の写真ですが、「チャンピオン」を歌って下さった、横田さん。
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いっちぃさん。
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伊田君。
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田口さん。
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ゲストの古沢カオリンです。
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そして、くまこもお客さんで来てくれました。
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前座
 〇 君へ遺す五つの言葉
 〇 チャンピオン
遠くで汽笛を聞きながら
Birthday
 愛燦々
生きてりゃいいこときっとある~高田の一本松~
HOWEVER
 あの娘のいない街・東京
人生半分
旧友再会
ダンシング・オールナイト(サプライズゲスト)
爪を研げ
 (休憩)
木蘭の涙
マイ・ウエイ
青春の城下町・白鷺城に見守られ
あんたが大将
  (ゲスト)花
ケイ子先生
母さんの下駄
ff(フォルレシモ)
酒の河
ファイト
暖かい風
アンコールで・・・
㉑ 河内のオッサンの唄でした・・・。
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 以上、21曲+2曲でした。
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書家「兜坂香月」先生

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尊敬する書家「兜坂香月」先生が4月30日の神戸新聞に載りました。
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じろりんが先生の詩に曲を付けております。
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 「いのちのがぎり」 詩・兜坂香月 曲・尾先治楼(じろりん)

https://www.youtube.com/watch?v=dX61PwPne9Q


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兵庫県姫路市在住の書家兜坂香月(とさかこうげつ)さん(95)が、10代のころから書きためた短歌などを収めた作品集「遺(のこ)したい、私の和歌 俳句 詩」を出版した。「私の人生の集大成。好きな作品を厳選した」と話す。
 兜坂さんは14歳の時に書道を始め、短歌や俳句も同じころに始めた。書と同様、特定の師匠にはつかなかったが、ラジオの短歌・俳句番組で入選したこともある。
 作品集には、短歌104首、俳句10句、詩9編を収録。深く心に刻まれた出来事や故郷に対する思い、社会事象に対する悲しみや怒りが込められている。
 戦時中、旧満州への出征が決まり、生きて帰らない覚悟で詠んだ歌も。
 故郷よ 母よさらばと 打ちならす 旗は祖国の 見えずなるまで
 戦後は旧国鉄に勤め、文芸誌発行など文化活動に打ち込んだ。日本書道院展などで受賞を重ねた後、書道界とは距離を置いたが、毎日筆を握り精進した。
 さまざまな文芸に通じた「文人」を自負し、書の題材には自作を選ぶ。「他人の言葉を書にするのは“習字”にすぎない」との信念からだ。思うがままに走り続けた人生。近年の歌には満足感がにじむ。
 もう一度 この世に生れ 来りなば 再び同じ 道をあゆまん
 書18点も合わせて掲載。また、長年収集してきた古美術品などの写真とエッセーも収めている。
 兜坂さんは「書家は一生で佳作を10点遺せればいいという。後世の目にとまればうれしい」と話す。
 214ページ、200部を出版。販売はしないが、姫路市などの図書館に寄贈する予定。(田中伸明)
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ディサービス「あゆみ」ライブ

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ディサービス「あゆみ」で歌ってきました。
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大変お世話になっている方が利用されていますので、張り切って歌ってきました。
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 歌った曲です。
① ふたり酒
② 川の流れのように
③ 天城越え
④ 上を向いて歩こう
⑤ ふるさと
⑥ 白鷺の城
⑦ いのちのかぎり
⑧ 秋です
⑨ 七つの子
⑩ 赤い靴
⑪ 籠の鳥
⑫ 母さんの下駄
⑬ 星影のワルツ
なんと、ここでアンコールの声が沸き上がり・・・
⑭ 河内のオッサンの唄
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   以上14曲、歌いました。

香寺町・香照苑祭りライブ

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香寺町の香照苑祭りで歌って来ました。
 
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控室、一人やのにめっちゃ広い。
 
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司会をやっていた女性?
 誰か分からず、ネットで調べたら「平野ノラ」と言うらしい。
 
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PAがごきげんで、いい音を出して頂きました。
 
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共演したCOCOAバンドさん。
 
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 客席が遠かったですが、しっかり心に届いていたようです。めっちゃ、良かったよ・・・。
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 今日のリストです。
① ふたり酒
② ff(フォルテシモ)
③ 天城越え
④ あんたが大将
⑤ HOWEVER
⑥ 365日の紙飛行機
⑦ ダンシング・オールナイト
⑧ 青春の城下町・白鷺城に見守られ
以上、8曲でした・・・。
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東京へ行ってきた。

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21日、夕方の「井之上隆志君のお別れの会」まで時間があるので、サスケとの共通のミュージシャン「パンとハコ」さんのライブで立川まで行きました。
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「立川いったい音楽まつり」300人のアーチストが出演されているのだそうです。
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さすがプロのジャズ。めっちゃ、お客さんを楽しませていました。
 
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カフェでの演奏では、突然ダンボールを渡されてパーカッションで飛び入り演奏をしました。
 
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今から「お別れの会」があるのに時間までサスケと呑んでいます。
 
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俳優・井之上隆志君のお別れの会に行って来ました。
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 数えきれない程の有名人が参列されています。
 献杯の発声をされる角野卓造さん。
 
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ラサール石井さん、
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佐藤B作さん、
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春風亭昇太さん、
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海援隊の千葉和臣さん、サスケかつさん、
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六角精児さん、中島淳彦さん、
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有名人だらけでしたが覚えているひとだけです。
山本コータローさん、
村田雄治さん、
橋田寿賀子さん、
ベンガルさん、
おそらく、松たか子さん、
その他一杯の方々でした。
井之上君の奥様ともご挨拶が出来て本当に東京まで来て良かったです。

神戸コープ砥堀店ライブ

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東京で「井之上隆志お別れの会」の後、夜行バスに乗って姫路まで帰って来た。
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バタバタと準備をして午前10時半から、神戸コープ砥堀店にて「なかよし倶楽部」主催のデーサービスで歌って来ました。
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大いに喜んで下さいましたよ・・・。
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歌った曲です。
① ふたり酒
② みだれ髪
③ 川の流れのように
④ 365日の紙飛行機
⑤ 上を向いて歩こう
⑥ ふるさと
⑦ 赤い靴
⑧ 七つの子
⑨ 籠の鳥
⑩ 母さんの下駄
⑪ ケイ子先生
⑫ 帰らんちゃよか
⑬ 星影のワルツ
⑭ 青春の城下町・白鷺城に見守られ
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以上、14曲でした・・・。
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「パンとハコとマツ」の「枯葉」UP

愛あるふれあいの家ライブ

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近所のデーサビス「愛あるふれあいの家」で歌って来ました。
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人生の先輩ばかりの前で、歌って笑って泣いての一時間四五分でした。
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今日のセットリストたちです。
① 北国の春
② ふたり酒
③ 悲しき口笛
④ 川の流れのように
⑤ みだれ髪
⑥ 与作
⑦ 銀座カンカン娘
⑧ 365日の紙飛行機
⑨ 上を向いて歩こう
⑩ ふるさと
⑪ 赤い靴
⑫ 七つの子
⑬ 四季の歌
⑭ 夕焼け小焼け
⑮ 籠の鳥
⑯ ケイ子先生
⑰ 母さんの下駄
⑱ 帰らんちゃよか
⑲ イムジン河
⑳ 吾亦紅
㉑ 暖かい風
㉒ 青春の城下町・白鷺城に見守られ
㉓ 星影のワルツ
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  以上、23曲でした・・・。
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「パンとハコ」さんの「テイク・ファイブUP

「星に願いを」UP


天理駅前「シンフォニア」気ままにライブ。

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天理駅前「シンフォニア」ライブ。
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次々とお客さんが来られ、入りきれない程でした。
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 気ままに、おしゃべりしながら歌いました。歌った曲。
順不同
東京・やしきたかじん...

愛燦燦
天城越え
ダンシング・オールナイト
時代おくれ
また君に恋してる
一人の道
もくせいの花
生きてりゃいいさ
一緒に叫ぼう夜空にむかって
旧友再会
笑顔で生きている
ふたり酒
悲しき口笛
川の流れのように
みだれ髪
銀座カンカン娘
365日の紙飛行機
吾亦紅
Nobody Is Right
命の別名
地上の星
ヘッドライト・テールライト
北の旅人・中島みゆき
知らぬ間に24曲歌っていました。
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やしきたかじん「東京」アップ

「東京」ギター弾き語りでUP

ディサービス「こもれび」ライブ

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ディサービス「こもれび」で歌って来ました。
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とても喜んで頂きました・・・。
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本日のセットリストです・・・
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① ふたり酒
② 北国の春...

③ 川の流れのように
④ みだれ髪
⑤ 上を向いて歩こう
⑥ ふるさと
⑦ 赤い靴
⑧ 七つの子
⑨ 夕焼け小焼け
⑩ 籠の鳥
⑪ 母さんの下駄
⑫ 青春の城下町・白鷺城に見守られ
以上、12曲でした・・・。
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いきなり『とんねるず』

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1980年頃。
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私が赤坂のクラブ 『ヴァレンチノ』で弾き語りとボーイの (『じろりん』はコンガを叩いていました) アルバイトをしていた時、店の女の子が閉店後、「おもしろい店があるから・・」と言って新宿のとある店へ連れて行ってくれました。

 殺風景な店で、もう 閉店しているのか、店の人と常連客が数人、一つのテーブルを囲んで飲んでいました。

 しばらく一緒に飲んでいると、突然ドアが開いて、二人の男が乱入してきました。

 マフラー代わりの手ぬぐいを首から下げて、いきなり『横浜銀蝿』のモノマネで一曲歌いました。大した芸ではなかったが、店の中はヤンヤ、ヤンヤの大うけでありました。

 それは、デビューしたての『とんねるず』の二人だったのです。彼らの芸は学園祭の延長のようなノリではありましたが、若い人たちには大いにうけていました。

 『じろりん』はメラメラと闘争心が湧き、「負けてはならじ」と、店のギターを借りて『河内のオッサンの唄』を歌いました。歌い終わると二人は、「久し ぶ り に 力(リキ)が湧いてきたぜ!」と言って握手をしてくれました。

 たちまち、意気投合し、同じテーブルに全員集めて、大ゲーム大会が始まりました。とにかく、『とんねるず』の二人は、その場を盛り上げること、盛り上げること。

 私も久しぶりに楽しい ひととき を過ごしました。その後、破竹の勢いで売れていった彼らには、「下積みとか苦労というものはあったのか・・・?」 と思うが、二人のコンビネーションとそれぞれの個性が、下積みとか苦労という重々しい言葉をハネ飛ばして、のし上がっていったのではないだろうか。 (実は、後で分かったが、下積みが無かった分、後に苦労したようだ。)

 コンビというのは、夫婦みたいなものとよく言われるが、二人には絶妙なコンビネーションと相反する個性が自然に備わっていたのかも知れません。
           
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