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Channel: 『姫路のじろりん』のブログ
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井之上隆志君と佐藤B作さん

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20151220日の出来事です。
<佐藤B作さん>の巻
 
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東京時代の後輩役者「井之上隆志」君から「今、京都公演中です。12月20日の19時あたりに姫路でツアーを解散します。翌日帰京の予定です。ジローさんの予定は大丈夫でしょうか?」とメールが来たので「大丈夫ですよ。うちに泊まって下さい」と返信しました。...

どんな芝居をしているのかなとネットで調べてみると、なんと、「佐藤B作」さんが主宰する「東京ボードビルショー」の客演でした。「東京ボードビルショー」といえば、じろりんの東京時代にはもう売れっ子劇団で、憧れでもありました。
 
 
  折角ですから「文化センターの楽屋へ行ってB作さんと写真が撮れればいいな」と思っていましたが、奥ゆかしい「じろりん」のことです、言い出せずにいました。すると娘が「B作」さんと奥さんの「あめくみちこ」さんに会いたいと言うのです。これ幸いと井之上君にメールをすると「終演後、大ホール楽屋を訪ねてもらうとB作さんと、あめくさんに面会出来ると思います」と返信が来た。これはしめたと厚かましくも色紙とマジックを用意して娘と二人楽屋を訪ねましたら、まだ着替えの最中ではありましたが「佐藤B作」さんと「あめくみちこ」さんに会うことが出来ました。

                (あめくみちこさんと娘)
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  井之上君がB作さんに「じろりん」の事を話していたようで「今の僕があるのはジローさんのお陰です。僕の恩人です」と紹介してくれました。名刺を渡すと「じろりん、というのは劇団ですか?」と聞かれたので「いいえ、楽団ひとりです」と答えたのですが、ボケが通じず反応がありませんでした。
  井之上君が「B作さんは中小企業の社長さんのようなタイプで、いつも従業員である劇団員の生活を考えられ、自分が陰に隠れても傍の人が生かされるように劇団を運営されている」と言っていました。
  それにしても、「東京ボードビルショー」という人気劇団にゲストで呼ばれる井之上君も凄い役者になったものです。
 
この日も朝まで呑んで語り合いました。

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(井之上くんは、今公開中の映画『日本のいちばん長い日』に御前会議のシーンで参謀総長の役で出演しています)
             (20151220日の記事です)
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井之上隆志とライブハウス「パブレス昆」

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ライブハウス「パブレス昆」の巻
 
  新宿御苑前に「パブレス昆」という店がありました。じろりんが東京を引き上げて姫路へ帰る時、送別会をしてもらった店です。
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 その時のメンバーが山田隆夫君、サスケの二人、役者の深見亮介、井之上隆志、小林アトム、サスケのブレーン達でした。
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 懐かしくて上京した時に探してみたのですが、もうお店は在りませんでした。ちなみに、マスターは「昆史郎」という方でした。
 
 名倉ジャズダンススタジオで一緒にレッスンしていた女優の「多岐川裕美」さんと後に結婚された芸能プロダクションの「阿知波信介」さんと、この店で同席したことがあります。
 
ある時、テレビで「とんねるず」を見ていたら「昆」という名前が出てきたので驚きました。そういえばフジテレビのディレクターもよく出入りしていたことを思い出しました。確か、「港浩一」さんとも会った記憶があります。
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 小さな店でしたが、いつも満員でした。特別なステージは無いのですが、突然音楽が鳴りはじめると、トイレから颯爽とマスターが飛び出してきて「西城秀樹」を歌われます。すると店内は一気に盛り上がるのです。
 
 「じろりん」はお客さんでしたが、マスターが必ず「続いてはジロー・オンステージ!」と紹介されるので結構、勝負をかけて歌っていました。曲は大概「ツイスト」とか「もんたよしのり」のものまねでした。
 
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 この店はショーパブのさきがけとなった店です。まだ「ものまね番組」のない時代でしたが業界関係者が多く、後に芸人の登竜門的存在になったようです。「とんねるず」や「コロッケ」「コント赤信号」「ブラザー・トム」達も通っており、若手の芸人も沢山来ていたようです。ネットで調べてみると、あの「虚言癖」で有名な「佐村河内守」も通っていたらしく、麻原彰晃に似ていると言われていたそうです。
 
 今思うと、面白い事がいっぱいあった東京でしたが、しんどい事もいっぱいあった東京でした。

(そして、じろりんは東京を去った1981年、井之上君は一緒に見に行った山田辰夫率いる「劇団GAYA」に入団した。しばらくして、井之上君はわざわざ姫路まで会いに来てくれました。)
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井之上隆志と山田辰夫

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<おそらく井之上君は山田辰夫と、近くに居ながら普通にしゃべった事はないだろうなと想像する。それくらい怖いほど凄い役者だった>
 
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訃報・俳優『山田 辰夫』53歳(2009726日の記事です)
 
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 俳優の『山田 辰夫(やまだ・たつお)』が53歳という若さで亡くなった。
 
 30年ほど前、名倉ジャズダンスの友人達が所属していた、劇団『GAYA(ガヤ)』の創立メンバーで、その芝居を見に行ったのが、初めての出会いであった。とにかく、すごい役者だった。
     (名倉ジャズダンススタジオの仲間たち)
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 『GAYA(ガヤ)』の芝居は、当時話題になっていた『佐藤B作さん』の『東京ボードビルショー』よりも斬新で面白いと思った。

GAYA(ガヤ)』の連中も『じろりん』の芝居を見に来てくれて、よい意味でお互い火花を散らした。
 劇団Mr.GoodMan(井之上君はこの芝居が初舞台でした)
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  『井之上隆志』君に、「これからは、こんな芝居を勉強しないと駄目だよ!」と言って、『GAYA(ガヤ)』の芝居を見に連れて行った。その後、『じろりん』は姫路に帰り、『井之上隆志』君は『GAYA(ガヤ)』に入って、芝居を磨いた。
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 その直前『山田 辰夫』は、80年公開の『狂い咲きサンダーロード』に主演し、映画デビューをした。(近年では、脇役として活躍し、映画『植村直己物語』『ホワイトアウト』『おくりびと』、ドラマ『あぶない刑事』『必殺仕事人2009』などに出演している。)
 
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(井之上君は、こんな凄い役者と同じ舞台に立って鍛えられたのだろう)
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 向こうは何とも思っていなかっただろうが、『じろりん』にとっては、生意気にもライバルであり、憧れであった。芸能界を引いて、姫路に帰って来てからも、いつも気になる存在であった。『じろりん』が70歳でデビュー(70歳での再デビューを勝手に夢を見ている)した時には、何時か何処かで対談をしたいと独りよがりに思っていたのに、非常に残念な気持ちで一杯である。
 
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 フォークシンガーの『長渕剛』がスポーツ紙に散文を寄せていた。
 
ダチ山田辰夫へおくる 長渕剛
辰ちゃん 
そりゃないよ。
なんで? 
なんで言ってくれなかったんだ! 
あれだけ
またいっしょに
映画やろう!ドラマやろうって
約束したじゃねえか! 鋭利な刃物を忍ばせ、
機関銃の言葉を放射し、
俺に、
そして
日本映画界に
強烈な個をたたきつけてきやがる
凄え俳優だった。
日本映画界からまた本物が消えた。
怒りと悲しみがこみあげて来る。
これだけ役者という職業を命かけて愛した男を俺は他に見た事がない。
たまらなく俺は辰が好きだった。
大っ嫌いな卑怯者がその昔、いて、
俺を守ろうと、
からだごと、そいつに突進して、
血まみれになったほど、
奴の魂は、限りなく優しかった。
男気に満ちあふれ、
笑顔がいつも、悲しく…、かわいかった。
酒をくみかわし、
いつも映画の話をした。
「ねえ! 剛、やんないの? ねえ、やんねえの映画?」
「…うーん」
「やろうよ! 俺あんたとしばいすんの大好きなんだよ。ねえ、やろうぜ」
いつも飲むと俺にからんできやがった。
もっと、俺、死ぬ気で原案を考え、
いっしょにやればよかった。
よれた皮ジャンひっかけてひょっこり俺ん家に辰はやってくる。
「よ!酒飲みに来たよ」って。
けど、
辰、お前、今回ばかりは何も俺に言わなかったな!
悔しいな、辰!
なぜだ?
あの時、俺たちは体制にまかれず、
いい本物のしばいを作ろうと
戦ったじゃないか。
また、俺
ひとりぼっちかよ。辰ちゃんよ!!
『山田辰夫』
生涯不良・生涯青春を貫いた本物のアウトローだった。
信じたくない。
あの時、約束したよな!
「今度、また映画やる時はな、辰!!
お前は狂気の役だぜ!」辰はニッコリ笑って
「うん…俺、好き。そういうの…好き。あんたとならやれる」
信じたくない。
辰が死んだ!?
ふざけんな!!
なぜ俺から大切なものを神様の野郎はうばって行くんだ!?
悲しくて悲しくて…しかも、
辰のような男がいなきゃつまんねえ。
けど…想像以上に悲しい。
絶望以上に悲しい。なぜなら、二度とおまえと逢えないからだ。
辰!天国へ行けよ!
俺もそのうち行くからよ。
だけど、ニコッといつものように笑って、
お前、すぐ、手まねきすんじゃねえぞ。
愛うしい山田辰夫様。
いや、
辰ちゃん。しっかり眠ってな。
合掌。今までありがとう。お前に逢えてしあわせだった。(原文のまま)
2009726日の出来事です)








ディサービス「むれさき苑」ライブ

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ディサービス「むれさき苑」で歌ってきました。
利用者さん、職員さんにも大歓迎で迎えて頂きました。
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控室で、ちょっと底の高いステージ用の靴を履いていたら突然こむら返りになり焦りましたが、無事皆さんに喜んで頂きましたよ。
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今回もアンコールがありました・・・。
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今日のセトリです。
① 北国の春
② 天城越え
③ 暗い森
④ ばつばつ
⑤ 生きてりゃいいこときっとある~高田の一本松~
⑥ 上を向いて歩こう
⑦ ふるさと
⑧ ケイ子先生
⑨ 赤い靴
⑩ 籠の鳥
⑪ 帰らんちゃよか
⑫ 青春の城下町・白鷺城に見守られ
熱烈なアンコールで
⑬ 河内のオッサンの唄
以上13曲でした・・・。
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井之上隆志とMR.GOOD MAN

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井之上隆志とMR.GOOD MAN
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井之上君の初舞台は「MR.GOOD MAN」という劇団でした。当時の写真が殆ど残っていないのです。


倉庫の奥から古い手紙を出して見ていると、井之上君からの手紙。


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MR.GOOD MAN」の仲間から来た公演案内のハガキ。


 
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井之上君が書いてくれた年賀状のイラストが出てきた。


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井之上隆志君からの手紙・1981年5月(当時20歳)

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<井之上君から来た36年前の手紙。(井之上君20歳)(じろりん28歳)お互い若かったね・・・。>

井之上隆志君からの手紙・19815
 
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前略、ジローさんげんきですか。井之上隆志です!
ジローさんが東京離れて2週間チョットたちました。
どうですか姫路の生活。自分の故郷に帰って
こんな質問おかしいけど・・・なれました?
自分はもうとにかく頑張ってます。
ジローさんに重大報告があります。俺がオーデション受けた
映画あったでしょう。みごと落ちました!!
第一次の書類審査で。ハッハッハッこんなもんですな。
今度は『海峡』という映画の高倉健の息子役に
応募します。今度はきっとまちがいないでしょう。
昨日、六本木のディスコでロックンロールショーを40分程
演ったのです。GOOD MANがゲストに呼ばれて。それが、もう、ドッチラケ。
もう少しで客から何かなげられるのではという位。俺やりながら頭にきて、
ムカつく客のとこ飛んでってブンなぐってやろうかと思ったんですけど
それを小林さんに話したら、彼は
「客に頭にきたってはじまらん。俺たちに魅力がないからだ」
と言うのです。俺、頭が下がる思いでした。マジに。
恥ずかしくなってね俺。だってその通りですもんね。
勉強ですワ。全部!!
アトムさんの公演が今日(6/8)から始まりました。
昨日、俺バイト帰りに新宿で偶然アトムさんと逢って
招待券を2人分もらいました。
明日、行きます。ジローさんの分も見てきますね。
サスケ・ローリングバンドのメンバーともこれからチョイチョイ連絡
とりたいと思ってます。
 
話変わって、
GOOD MANて何てパワーのない劇団なんでしょう。
/2・3・4・5の公演『TIMEISONMYSIDE』以来、
ガタガタです。スゴイ好評だったんですヨその芝居自体。
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橋本さんはケイ古に来ない山田さんも、忠さんも
古いメンバーは誰も来ません。来てるのは、みのサンと、くのサンと
俺と、かずよさん位のもん、あと小林さん。
それと新しいメンバーが5・6人。
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アマチュアじゃあるまいし、1つの公演終わったら
皆、安心しちゃうのかな。次のエンジンかかるまでが
とほうもなく長い。
もう来ない人をどうこう言っても始まらないから、
俺、無視する事にしました。
忠さんも何か事情があってか連絡とれませんので
ジローさんの事くわしく話してません、そのうち連絡とります。
GOOD MAN3月から入った同い年の奴が
GOOD MANやめてGAYAに入りました。
そいつがいろいろ俺に相談もちかけるので
GAYAを勧めたんです。『GAYAならいいんじゃないGOOD  MANより』って、
GOOD MANは、いまいち団結力がなく
かといって他の劇団にホイホイ移りたくもない。
最近どうにかGOOD MANはケイ古の場!!という
認識が出来てきました。
これから先どう俺の中で変わっていくかわかりませんが・・・・。
とにかく、何だか判んないけど頑張ります。
これからもドシドシ手紙書きます
体には、もうぜったいに気ィつけて下さいね。
    ジローさん頑張って。

尾崎ジローさん
 
 
                      井之上隆志
P.S 先日、ジローさんの住んでいたアパートの前を
  バイクで通りました。
  なんかスゴイ、オトメチックで自分でも言いにくいんだけど
  ジローさん居ないんですヨネ。―――。
  はやくブッコワせばいいのにあのアパート
        くそったれ   あったまくる!!

天理駅前の「シンフォニア」で歌ってきました。

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25日天理駅前の「シンフォニア」で歌ってきました。
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美味しい韓国風の海苔巻きを頂き、韓国ケーキといつもの万能酵母のお茶を頂きました。
おかげでお通じ抜群です。

新しい出会いもあり、大満足のひと時でした。
(25日にじろりんライブに来て頂きました、カルガモ母さんの川上美也子さん。26日アフリカ救援のためNGO「ミコノの会」の解散式にて再会。  http://karugamo.org/ )
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来月は、2612時くらいからゲリラ的に歌おうかなと思っています。
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歌った歌たちです。
① ダンシング・オールナイト
② あの娘のいない街・東京
③ また君に恋してる
④ 生きてりゃいいこときっとある~高田の一本松~
⑤ ケイ子先生
⑥ 地上の星
⑦ 命の別名
⑧ 酒よ
⑨ 時代おくれ
⑩ 人生半分
⑪ 爪を研げ
⑫ ff(フォルティシモ)
⑬ 暖かい風
以上13曲でした。
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井之上隆志君からの手紙・その2

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井之上隆志君からの手紙・その2
1981125日(当時20歳・じろりん28歳)
 
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    お手紙どうも有難うございました。
  連絡とらずにすみません。
 ジローさんの手紙に書いてあった事、とても良く判ります。
最近、自分でも本当に不思議な位、マイペースでやっています。
あせってないと言えばウソになりますが。
今、GOOD MANは藤井さんをはじめ、久野さん、和代さん、
箕輪さんと自分の5人です。活動といえばダンスだけです。
1227日自分の誕生日(21才)なのでパーティをかねて
ショーみたいなものでもやろうという話が今日ありました。
 
今日午前中 皆で集まったのですが なんと皆で集まったというのは
1ヶ月半ぶり位で、全然 芝居の話がもちあがらないので
芝居やらない劇団なんて金だけ払って無意味だなァ
などと考えていた矢先でした。
GOOD MAN自体の公演はもう半年ほど、やってません。
GOOD MANのせいじゃありませんし、チョット自分の身の回りの事や
考え事するのにちょうど良い期間だったと思います。
 
それでもやっぱ興行を全然せんなかったせいか
多分、欲求不満でもって精神状態がノーマルで
なくなって、チョットした事件がありました。
箕さんがスナックを知り合いのつてで開いて
そこでバイトして2人やってるんですが
店が終わって(AM2:00)飲みに行った店で
他のお客さんとケンカしてしまい、
全治2週間のケガをさせて、3日間ケイサツのお世話に
なってしまいました。傷害罪の前科がついてもーたァ!!
実に恥ずかしい事です。お店は休むし迷惑な事をしてし
まいました。
金で買えん貴重な体験をしたと思って演技のひき出しに
しまいました。
あの手錠の重さは今でも忘れません。
 
来週あたりから箕さんと2人でいろんな映画会社をまわって
顔を売ろうと相談しています。
 
有難い事にまだ21才、良い先輩方に恵まれて
頑張ってます。
 
コツコツといつかきっと芽が出る・・・イヤ
芽を出す事を思って絶対続けます。
 
ジローさんの顔を見たい。
 
また手紙を出します。師走 忙しい中 本当に
手紙 ありがとうございます。
 
         井之上隆志

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1979年渋谷ジャンジャンに出演した。

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井之上君関係の資料を探していたら、1979年に、じろりんが出演した
伝説のライブハウス「渋谷ジャンジャン」のチラシが出てきた。
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19日・20日に「エルビス・プレスリー」フォーシーズン・パロディ
に出演している。たしかピアにも名前が載った。
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われら以外は一流のアーチスト達が出演している。

井之上隆志と『おもろい女』

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(20150609日の記事です。)
<おもろい女>の巻
  『おもろい女』は昭和初期に大活躍した漫才師ミス・ワカナと玉松一郎の物語で、森光子さんと藤山寛美さんがワカナ・一郎を演じ大好評を博しました。舞台化されてから463回も上演を重ね、関係者に「いい台本だから、残してほしい」と森光子さんが生前言われていたそうです。
 
この度、藤山直美さん主演で再演が決まりました。紹介文には「笑わせ、泣かせ、息つく暇もなく、ワカナの波瀾の生涯を駆け抜ける、圧巻の舞台です。半世紀後、ミス・ワカナ役を演じ継ぐのは、その運命を背負った藤山直美!さらに渡辺いっけいら当代最高の豪華キャストが贈る、日本演劇界最高の喜劇にどうぞご期待くださいませ!」と書いてあります。
 
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 『こどもおぢばがえり』の『ピッキーステージ』に出演していた『アトム座』の音楽を担当していた石山理さんはフェイスブックで友人ですが、その書き込みに「今度、藤山直美さん主演の『おもろい女』の音楽を担当することになりました。是非ご覧になってくださ~い!」とありました。
         (音楽担当の石山理さん)
 
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            (小林アトムとアトム座の役者さん)
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早速出演者をチェックすると、なんと東京時代の後輩役者、井之上隆志君が出ているではありませんか。その事を石山さんにコメントすると、その後二人で『じろりんトーク』で盛り上がったようです。
 
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  先日、地元の『川まつり』のステージ担当で、てんやわんやしている時に井之上隆志君からメールが来ました。「私は藤山直美さんの扮する女性漫才師の師匠役です。ジローさんが音楽スタッフの石山さんと知り合いとは知りませんでした。ビックリ。」と書いてありました。
 
  その『川まつり』のスペシャルゲストは大阪から来て下さった、奄美民謡のシーガン山下さんで、奥さんの「こまつさん」もご一緒でした。
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その奥さんが若い頃、井之上君の追っかけをしていたそうで、こちらもビックリ。井之上君トークで盛り上がりました。
 (劇団カクスコ時代の井之上君とシーガンさんの奥さん「こまつ」さん)
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  そういえば東京時代じろりんは、同じミス・ワカナと玉松一郎の物語で題名が「おてんば人生」というドラマに酔っ払いの客役で出演した事を思い出したのです。日本テレビの昼ドラでした。不思議に全てが繋がっているのですね~!
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(これは20150609日の記事です。)

井之上隆志君と佐藤B作さん

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20151220日の出来事です。
<佐藤B作さん>の巻
 
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東京時代の後輩役者「井之上隆志」君から「今、京都公演中です。12月20日の19時あたりに姫路でツアーを解散します。翌日帰京の予定です。ジローさんの予定は大丈夫でしょうか?」とメールが来たので「大丈夫ですよ。うちに泊まって下さい」と返信しました。...

どんな芝居をしているのかなとネットで調べてみると、なんと、「佐藤B作」さんが主宰する「東京ボードビルショー」の客演でした。「東京ボードビルショー」といえば、じろりんの東京時代にはもう売れっ子劇団で、憧れでもありました。
 
 
  折角ですから「文化センターの楽屋へ行ってB作さんと写真が撮れればいいな」と思っていましたが、奥ゆかしい「じろりん」のことです、言い出せずにいました。すると娘が「B作」さんと奥さんの「あめくみちこ」さんに会いたいと言うのです。これ幸いと井之上君にメールをすると「終演後、大ホール楽屋を訪ねてもらうとB作さんと、あめくさんに面会出来ると思います」と返信が来た。これはしめたと厚かましくも色紙とマジックを用意して娘と二人楽屋を訪ねましたら、まだ着替えの最中ではありましたが「佐藤B作」さんと「あめくみちこ」さんに会うことが出来ました。

                (あめくみちこさんと娘)
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  井之上君がB作さんに「じろりん」の事を話していたようで「今の僕があるのはジローさんのお陰です。僕の恩人です」と紹介してくれました。名刺を渡すと「じろりん、というのは劇団ですか?」と聞かれたので「いいえ、楽団ひとりです」と答えたのですが、ボケが通じず反応がありませんでした。
  井之上君が「B作さんは中小企業の社長さんのようなタイプで、いつも従業員である劇団員の生活を考えられ、自分が陰に隠れても傍の人が生かされるように劇団を運営されている」と言っていました。
  それにしても、「東京ボードビルショー」という人気劇団にゲストで呼ばれる井之上君も凄い役者になったものです。
 
この日も朝まで呑んで語り合いました。

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(井之上くんは、今公開中の映画『日本のいちばん長い日』に御前会議のシーンで参謀総長の役で出演しています)
             (20151220日の記事です)
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井之上隆志とライブハウス「パブレス昆」

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ライブハウス「パブレス昆」の巻
 
  新宿御苑前に「パブレス昆」という店がありました。じろりんが東京を引き上げて姫路へ帰る時、送別会をしてもらった店です。
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 その時のメンバーが山田隆夫君、サスケの二人、役者の深見亮介、井之上隆志、小林アトム、サスケのブレーン達でした。
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 懐かしくて上京した時に探してみたのですが、もうお店は在りませんでした。ちなみに、マスターは「昆史郎」という方でした。
 
 名倉ジャズダンススタジオで一緒にレッスンしていた女優の「多岐川裕美」さんと後に結婚された芸能プロダクションの「阿知波信介」さんと、この店で同席したことがあります。
 
ある時、テレビで「とんねるず」を見ていたら「昆」という名前が出てきたので驚きました。そういえばフジテレビのディレクターもよく出入りしていたことを思い出しました。確か、「港浩一」さんとも会った記憶があります。
イメージ 8
 
 小さな店でしたが、いつも満員でした。特別なステージは無いのですが、突然音楽が鳴りはじめると、トイレから颯爽とマスターが飛び出してきて「西城秀樹」を歌われます。すると店内は一気に盛り上がるのです。
 
 「じろりん」はお客さんでしたが、マスターが必ず「続いてはジロー・オンステージ!」と紹介されるので結構、勝負をかけて歌っていました。曲は大概「ツイスト」とか「もんたよしのり」のものまねでした。
 
イメージ 6
 この店はショーパブのさきがけとなった店です。まだ「ものまね番組」のない時代でしたが業界関係者が多く、後に芸人の登竜門的存在になったようです。「とんねるず」や「コロッケ」「コント赤信号」「ブラザー・トム」達も通っており、若手の芸人も沢山来ていたようです。ネットで調べてみると、あの「虚言癖」で有名な「佐村河内守」も通っていたらしく、麻原彰晃に似ていると言われていたそうです。
 
 今思うと、面白い事がいっぱいあった東京でしたが、しんどい事もいっぱいあった東京でした。

(そして、じろりんは東京を去った1981年、井之上君は一緒に見に行った山田辰夫率いる「劇団GAYA」に入団した。しばらくして、井之上君はわざわざ姫路まで会いに来てくれました。)
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井之上隆志と山田辰夫

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<おそらく井之上君は山田辰夫と、近くに居ながら普通にしゃべった事はないだろうなと想像する。それくらい怖いほど凄い役者だった>
 
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訃報・俳優『山田 辰夫』53歳(2009年7月29日 (水)の記事です)
 
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 俳優の『山田 辰夫(やまだ・たつお)』が53歳という若さで亡くなった。
 
 30年ほど前、名倉ジャズダンスの友人達が所属していた、劇団『GAYA(ガヤ)』の創立メンバーで、その芝居を見に行ったのが、初めての出会いであった。とにかく、すごい役者だった。
     (名倉ジャズダンススタジオの仲間たち)
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 (中央で歌っているのが「じろりん」名倉ジャズのステージ)

 『GAYA(ガヤ)』の芝居は、当時話題になっていた『佐藤B作さん』の『東京ボードビルショー』よりも斬新で面白いと思った。

GAYA(ガヤ)』の連中も『じろりん』の芝居を見に来てくれて、よい意味でお互い火花を散らした。
 劇団Mr.GoodMan(井之上君はこの芝居が初舞台でした)
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       (真ん中の「じろりん」の横に井之上君)
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  『井之上隆志』君に、「これからは、こんな芝居を勉強しないと駄目だよ!」と言って、『GAYA(ガヤ)』の芝居を見に連れて行った。その後、『じろりん』は姫路に帰り、『井之上隆志』君は『GAYA(ガヤ)』に入って、芝居を磨いた。
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 その直前『山田 辰夫』は、80年公開の『狂い咲きサンダーロード』に主演し、映画デビューをした。(近年では、脇役として活躍し、映画『植村直己物語』『ホワイトアウト』『おくりびと』、ドラマ『あぶない刑事』『必殺仕事人2009』などに出演している。)
 
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(井之上君は、こんな凄い役者と同じ舞台に立って鍛えられたのだろう)
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 向こうは何とも思っていなかっただろうが、『じろりん』にとっては、生意気にもライバルであり、憧れであった。芸能界を引いて、姫路に帰って来てからも、いつも気になる存在であった。『じろりん』が70歳でデビュー(70歳での再デビューを夢を見ている)した時には、何時か何処かで対談をしたいと勝手に思っていたのに、非常に残念な気持ちで一杯である。
 
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 フォークシンガーの『長渕剛』がスポーツ紙に散文を寄せていた。
 
ダチ山田辰夫へおくる 長渕剛
辰ちゃん 
そりゃないよ。
なんで? 
なんで言ってくれなかったんだ! 
あれだけ
またいっしょに
映画やろう!ドラマやろうって
約束したじゃねえか! 鋭利な刃物を忍ばせ、
機関銃の言葉を放射し、
俺に、
そして
日本映画界に
強烈な個をたたきつけてきやがる
凄え俳優だった。
日本映画界からまた本物が消えた。
怒りと悲しみがこみあげて来る。
これだけ役者という職業を命かけて愛した男を俺は他に見た事がない。
たまらなく俺は辰が好きだった。
大っ嫌いな卑怯者がその昔、いて、
俺を守ろうと、
からだごと、そいつに突進して、
血まみれになったほど、
奴の魂は、限りなく優しかった。
男気に満ちあふれ、
笑顔がいつも、悲しく…、かわいかった。
酒をくみかわし、
いつも映画の話をした。
「ねえ! 剛、やんないの? ねえ、やんねえの映画?」
「…うーん」
「やろうよ! 俺あんたとしばいすんの大好きなんだよ。ねえ、やろうぜ」
いつも飲むと俺にからんできやがった。
もっと、俺、死ぬ気で原案を考え、
いっしょにやればよかった。
よれた皮ジャンひっかけてひょっこり俺ん家に辰はやってくる。
「よ!酒飲みに来たよ」って。
けど、
辰、お前、今回ばかりは何も俺に言わなかったな!
悔しいな、辰!
なぜだ?
あの時、俺たちは体制にまかれず、
いい本物のしばいを作ろうと
戦ったじゃないか。
また、俺
ひとりぼっちかよ。辰ちゃんよ!!
『山田辰夫』
生涯不良・生涯青春を貫いた本物のアウトローだった。
信じたくない。
あの時、約束したよな!
「今度、また映画やる時はな、辰!!
お前は狂気の役だぜ!」辰はニッコリ笑って
「うん…俺、好き。そういうの…好き。あんたとならやれる」
信じたくない。
辰が死んだ!?
ふざけんな!!
なぜ俺から大切なものを神様の野郎はうばって行くんだ!?
悲しくて悲しくて…しかも、
辰のような男がいなきゃつまんねえ。
けど…想像以上に悲しい。
絶望以上に悲しい。なぜなら、二度とおまえと逢えないからだ。
辰!天国へ行けよ!
俺もそのうち行くからよ。
だけど、ニコッといつものように笑って、
お前、すぐ、手まねきすんじゃねえぞ。
愛うしい山田辰夫様。
いや、
辰ちゃん。しっかり眠ってな。
合掌。今までありがとう。お前に逢えてしあわせだった。(原文のまま)
2009726の出来事です)








ディサービス「むれさき苑」ライブ

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ディサービス「むれさき苑」で歌ってきました。
利用者さん、職員さんにも大歓迎で迎えて頂きました。
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控室で、ちょっと底の高いステージ用の靴を履いていたら突然こむら返りになり焦りましたが、無事皆さんに喜んで頂きましたよ。
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今回もアンコールがありました・・・。
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今日のセトリです。
① 北国の春
② 天城越え
③ 暗い森
④ ばつばつ
⑤ 生きてりゃいいこときっとある~高田の一本松~
⑥ 上を向いて歩こう
⑦ ふるさと
⑧ ケイ子先生
⑨ 赤い靴
⑩ 籠の鳥
⑪ 帰らんちゃよか
⑫ 青春の城下町・白鷺城に見守られ
熱烈なアンコールで
⑬ 河内のオッサンの唄
以上13曲でした・・・。
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井之上隆志とMR.GOOD MAN

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井之上隆志とMR.GOOD MAN
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井之上君の初舞台は「MR.GOOD MAN」という劇団でした。当時の写真が殆ど残っていないのです。


倉庫の奥から古い手紙を出して見ていると、井之上君からの手紙。


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MR.GOOD MAN」の仲間から来た公演案内のハガキ。


 
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井之上君が書いてくれた年賀状のイラストが出てきた。


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井之上隆志君からの手紙・1981年5月(当時20歳)

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<井之上君から来た36年前の手紙。(井之上君20歳)(じろりん28歳)お互い若かったね・・・。>

井之上隆志君からの手紙・19815
 
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前略、ジローさんげんきですか。井之上隆志です!
ジローさんが東京離れて2週間チョットたちました。
どうですか姫路の生活。自分の故郷に帰って
こんな質問おかしいけど・・・なれました?
自分はもうとにかく頑張ってます。
ジローさんに重大報告があります。俺がオーデション受けた
映画あったでしょう。みごと落ちました!!
第一次の書類審査で。ハッハッハッこんなもんですな。
今度は『海峡』という映画の高倉健の息子役に
応募します。今度はきっとまちがいないでしょう。
昨日、六本木のディスコでロックンロールショーを40分程
演ったのです。GOOD MANがゲストに呼ばれて。それが、もう、ドッチラケ。
もう少しで客から何かなげられるのではという位。俺やりながら頭にきて、
ムカつく客のとこ飛んでってブンなぐってやろうかと思ったんですけど
それを小林さんに話したら、彼は
「客に頭にきたってはじまらん。俺たちに魅力がないからだ」
と言うのです。俺、頭が下がる思いでした。マジに。
恥ずかしくなってね俺。だってその通りですもんね。
勉強ですワ。全部!!
アトムさんの公演が今日(6/8)から始まりました。
昨日、俺バイト帰りに新宿で偶然アトムさんと逢って
招待券を2人分もらいました。
明日、行きます。ジローさんの分も見てきますね。
サスケ・ローリングバンドのメンバーともこれからチョイチョイ連絡
とりたいと思ってます。
 
話変わって、
GOOD MANて何てパワーのない劇団なんでしょう。
/2・3・4・5の公演『TIMEISONMYSIDE』以来、
ガタガタです。スゴイ好評だったんですヨその芝居自体。
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橋本さんはケイ古に来ない山田さんも、忠さんも
古いメンバーは誰も来ません。来てるのは、みのサンと、くのサンと
俺と、かずよさん位のもん、あと小林さん。
それと新しいメンバーが5・6人。
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アマチュアじゃあるまいし、1つの公演終わったら
皆、安心しちゃうのかな。次のエンジンかかるまでが
とほうもなく長い。
もう来ない人をどうこう言っても始まらないから、
俺、無視する事にしました。
忠さんも何か事情があってか連絡とれませんので
ジローさんの事くわしく話してません、そのうち連絡とります。
GOOD MAN3月から入った同い年の奴が
GOOD MANやめてGAYAに入りました。
そいつがいろいろ俺に相談もちかけるので
GAYAを勧めたんです。『GAYAならいいんじゃないGOOD  MANより』って、
GOOD MANは、いまいち団結力がなく
かといって他の劇団にホイホイ移りたくもない。
最近どうにかGOOD MANはケイ古の場!!という
認識が出来てきました。
これから先どう俺の中で変わっていくかわかりませんが・・・・。
とにかく、何だか判んないけど頑張ります。
これからもドシドシ手紙書きます
体には、もうぜったいに気ィつけて下さいね。
    ジローさん頑張って。

尾崎ジローさん
 
 
                      井之上隆志
P.S 先日、ジローさんの住んでいたアパートの前を
  バイクで通りました。
  なんかスゴイ、オトメチックで自分でも言いにくいんだけど
  ジローさん居ないんですヨネ。―――。
  はやくブッコワせばいいのにあのアパート
        くそったれ   あったまくる!!

天理駅前の「シンフォニア」で歌ってきました。

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25日天理駅前の「シンフォニア」で歌ってきました。
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美味しい韓国風の海苔巻きを頂き、韓国ケーキといつもの万能酵母のお茶を頂きました。
おかげでお通じ抜群です。

新しい出会いもあり、大満足のひと時でした。
(25日にじろりんライブに来て頂きました、カルガモ母さんの川上美也子さん。26日アフリカ救援のためNGO「ミコノの会」の解散式にて再会。  http://karugamo.org/ )
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来月は、2612時くらいからゲリラ的に歌おうかなと思っています。
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歌った歌たちです。
① ダンシング・オールナイト
② あの娘のいない街・東京
③ また君に恋してる
④ 生きてりゃいいこときっとある~高田の一本松~
⑤ ケイ子先生
⑥ 地上の星
⑦ 命の別名
⑧ 酒よ
⑨ 時代おくれ
⑩ 人生半分
⑪ 爪を研げ
⑫ ff(フォルティシモ)
⑬ 暖かい風
以上13曲でした。
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井之上隆志君からの手紙・その2

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井之上隆志君からの手紙・その2
1981125日(当時20歳・じろりん28歳)
 
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    お手紙どうも有難うございました。
  連絡とらずにすみません。
 ジローさんの手紙に書いてあった事、とても良く判ります。
最近、自分でも本当に不思議な位、マイペースでやっています。
あせってないと言えばウソになりますが。
今、GOOD MANは藤井さんをはじめ、久野さん、和代さん、
箕輪さんと自分の5人です。活動といえばダンスだけです。
1227日自分の誕生日(21才)なのでパーティをかねて
ショーみたいなものでもやろうという話が今日ありました。
 
今日午前中 皆で集まったのですが なんと皆で集まったというのは
1ヶ月半ぶり位で、全然 芝居の話がもちあがらないので
芝居やらない劇団なんて金だけ払って無意味だなァ
などと考えていた矢先でした。
GOOD MAN自体の公演はもう半年ほど、やってません。
GOOD MANのせいじゃありませんし、チョット自分の身の回りの事や
考え事するのにちょうど良い期間だったと思います。
 
それでもやっぱ興行を全然せんなかったせいか
多分、欲求不満でもって精神状態がノーマルで
なくなって、チョットした事件がありました。
箕さんがスナックを知り合いのつてで開いて
そこでバイトして2人やってるんですが
店が終わって(AM2:00)飲みに行った店で
他のお客さんとケンカしてしまい、
全治2週間のケガをさせて、3日間ケイサツのお世話に
なってしまいました。傷害罪の前科がついてもーたァ!!
実に恥ずかしい事です。お店は休むし迷惑な事をしてし
まいました。
金で買えん貴重な体験をしたと思って演技のひき出しに
しまいました。
あの手錠の重さは今でも忘れません。
 
来週あたりから箕さんと2人でいろんな映画会社をまわって
顔を売ろうと相談しています。
 
有難い事にまだ21才、良い先輩方に恵まれて
頑張ってます。
 
コツコツといつかきっと芽が出る・・・イヤ
芽を出す事を思って絶対続けます。
 
ジローさんの顔を見たい。
 
また手紙を出します。師走 忙しい中 本当に
手紙 ありがとうございます。
 
         井之上隆志

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1979年渋谷ジャンジャンに出演した。

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井之上君関係の資料を探していたら、1979年に、じろりんが出演した
伝説のライブハウス「渋谷ジャンジャン」のチラシが出てきた。
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19日・20日に「エルビス・プレスリー」フォーシーズン・パロディ
に出演している。たしかピアにも名前が載った。
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われら以外は一流のアーチスト達が出演している。

井之上隆志君からの手紙・その3・1981年7月頃

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井之上隆志君からの手紙3・1981年7月頃(当時20歳・じろりん28歳)
     (井之上隆志、初舞台のチラシ・1980年7月)
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前略、とりあえず自分は元気です。
ジローさん頑張ってますか。毎回天理時報特別号を送って
くれて有難うございます。
 
暑いスね。ジローさんと付き合い始めたの去年の今頃でしたヨネ。
1年たちます。
今度、9月に「標の会」という団体の公演に協力する形で
出演します。
標の会というのは うち(GOOD MAN)と同じケイ古場を使っている団体です
藤井さんが今度の公演を作・演出するので自分とミノさんが
出れる様になったのですが 毎週火曜日 俺だけ
その団体と一緒にレッスンしているのです 藤井さんの勧めで。
(火曜日は藤井さんが講師ですので)
そこで藤井さんは俺の事メチャクチャ良く言うんです
どの様に良く言うかというと・・・・俺の口から言うとまた違った
ニュアンスに受け取れるかも知れませんが
『井之上は個性的だ芝居に自分を出している』etc・・・。
本当の事をいうと俺としては全くイヤなのです。
 
GOOD MANをやめた連中は他のプロダクション、あるいは劇団
で頑張ってます。 なのに俺はGOOD MANの中で
フワフワとやっているみたいな気がして。
 
そういうのって原因は俺の中にある・・・!!というのは
判っているつもりです。
ジローさんは『人を気にしすぎる・・・』といいました。
たしかに人を気にしてました。でも・・・俺って人間がセコイのかな
気になるんですヨネ。
 
  GOOD MANをやめて劇団GAYAに入った友達が
いろんな事話してくれます
こういうレッスンやってるとか今度はこういう仕事がある・・・とか
  俺とコンビを組んで歌を唄うといっていた小林さん。その人も
やめて、どっかのプロダクション、たしかナベプロかどっかには入りました。
俺に言います その人「飯食えなヨ 井之上、そのままじゃ」
「仕事がとれないだろ井之上、ダメだヨ、ままごとじゃない それじゃ」
GOOD MANに そういう事を望んでるのじゃないんです。俺は、
ああ 俺 何が書きたいのかわからなくなった。
ジローさん、俺いいかなこのままで。
 
公演の時 皆に良かった良かったって言われた自分、あれが
全部ウソに思えて、結局 誰かのコピーの様に思えて、
全然進歩ないんですヨ 進歩したい、本物になりたい。
飯食いたい、その前にいっぱい良い舞台をふみたい。
俺って口だけネ。立派なの。
このまんま ずっと平行線のまま行きそうな気がして。
今のGOOD MANのレッスンに毎月 会費払ってるのって正直言って
  馬鹿らしい気がします
それより大切な時間が無駄に過ぎていくのが。
無駄にしてるのは自分なのかな、
無駄だと思ってるの俺だけかな、
本当は無駄じゃないのかな。俺はそんな全然 何も出来ない人間
なのに、今の状態が恐い。
いつも いつもゼロにもどろう もどろうと思ってるんだけど
ゼロがどこにあるのか判らなくなってしまった気がする。
 
ちっくしょう頭に来るなァ、本当に頭に来る。
どういう役者が金とれる様になるんだろ。負けたくない俺は、絶対。
絶対負けたくない。誰にも、ちくしょう
負けたくない などと考える自体もう負けてるのかな。
ヨソが気になる。もっと俺は 俺よりスゴイ人間がいっぱい いる中で
もまれたい。
ジローさんが もしGOOD  MANやめてどっか行けば・・・といったら
俺はまた なやんでしまう、俺はスゴイ弱い人間だから。
 
「あっせてるんじゃない井之上。」あせりますヨもっともっともっとレッスンやって
もまれてもまれて、時間を有効に使いたいもの。
 
今のGOOD MANじゃダメな気がする、だけどGOOD  MANをやめたくない
GOOD MANが全てじゃないのはヨク判ってる、
だけどGOOD MANが好きだ。久野さんが居る、ミノさんが居る。
今 俺がやめたら スゴイひきょうな事だ、
『アッやっぱり井之上も・・・』先にやめて行った連中に言われる。
『なっそうだろ、GOOD  MANはダメなんだヨ』そんな事言われる。
絶対言わせない、そんな事言う奴ブッ殺してやりたい位。
    GOOD MANが 俺の居るGOOD MAN
BIGにメジャーになったら どんなに素敵だろう。
 
このままじゃなれない、じゃあどうするのか・・・判らない、
俺が考える事じゃないんだヨ そんな事。
俺はただ劇団員で芝居やって歌を唄ってればヨカッタはず。
そんな事を考えなければならなくなった何かに腹がたつ
ちっくしょう、 だってこの世には俺よりスゴイ奴イッパイ居るもの。
それが皆、BIGになろうって頑張ってる。
俺はGOOD MANで頑張りたいヨー。
 
       この前の手紙と実質的には全く内容の同じ
手紙だったりして、
ホントに俺って進歩がない。
 
もっと言いたい事 たっくさんあるんだけどなァ、
ジローさんが東京に居たら 俺 絶対に泊まりに行ったと思う
2、3日分の着換え持って。
   (市ヶ谷富久町にあった、じろりんのアパート)
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   今 金ないんです、だから金が入ったらTELしますネ。
 
〝頑張る〟って言葉が非常にウソっぽく軽くテキトーに聞こえます
今の俺の口から出ると。
 
明日はダンスのレッスンです、両足が〝ベター〟と床につく様に
なりましたヨ・・・・・・・・・・・・・・・
 
      また手紙書きます
         返事下さい 待ってます
        内容メチャクチャですみませんでした。
 
尾崎ジロー様
 
                    井之上隆志
     「井之上君が描いたチラシのイラスト」
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